好爺Gさんで、まいらう

やほおブログ難民だす

心豊かな暮らしを

家族への期待

生まれたばかりの時には、
元気に育ってくれれば良いと
だけ思って喜んでました。

生まれてから、
3ヶ月とか6ヶ月の頃は、
もうこんなことができて、
この子は天才じゃないかしら、
なぁーんて思って、更に喜んでました。

多分、赤ちゃんは、誰も
天才なんですね。

その研ぎ澄まされた感性が、
社会に出ることで鈍ってくる。

そんな感じがしてます。

で、今は、やっぱ、
少しでも良い高校、
少しでも良い大学へ
行ってくれると良いな、
なんて期待して、親バカしてます。

なぜ、日本人は、
本質を見失いやすいんでしょう?

多くのお受験話では、
良い幼稚園に入る、
良い小学校に入る、
良い中学校に入る、
良い高校に入る、
良い大学に入る
ことが目的のように
捕らえられてるように
思えます。

塾通いの、くらぁーい
(今時は、暗く無くて、
そこで友達作ったりしてるのかも
知れませんが、)
青春の思い出が、
将来の高給取りで
左団扇への道だから、
なぁんて、...。

本当の言い方は、多分、
自分が大人になって、
十分人生が楽しめるように、
勉強しなさい、
なんですよね。

だから、未来を夢見ながら、
楽しみながら、
勉強して欲しいな。

勉強か部活か、じゃなくて、
どっちもやって欲しいな。

勉強か遊びか、じゃなくて、
本当に、今しかできない遊び、
特に友達との遊びも、して欲しいな。

いつか、辛くなった時に、
思い出して、勇気を
奮い立たせるような
思い出を残すために。

今は(若いときには)、
分からないだろうけど。

(中年以降になったら、
期待はもうお笑い(?)の世界、
どんな風に期待するのかは、
キミ麻呂さんに
おまかせですね。)