好爺Gさんで、まいらう

やほおブログ難民だす

心豊かな暮らしを

無駄使い

何かが、おいらの頭に
ひらめいた。

無駄使いのしくみが
身近なところで理解できたのだ。

そりは、何か、例えば緊急な助けが
要る時に、100万円にするか、
110万円にするか議論する
ことに似てる。

やっちめぇば済むことなのに、
誰もがその必要性を
分かってるのに、改めて
その必要性を議論するために、
時間や金を使う。

何のために?

そこに携わる、必要の無い人に
賃金を支払うために?

その中間の仕事は、
実になるのかな?

本当に欲しいものの実現には、
無くても、全く問題の無い
ことだったりしても。

死んでしまった人に、
「生きてるかい?」と
問い掛けることは、時には
重要だ。

たとえば、その人を本当に
愛してた人か、検死官に取っては。

しかしながら、
これまで自らの糧を
得る手段を構築してきた人々にとっては、
それはただ単に儀式でしかなかったりする。

本当に重要で、
すぐにやらんくちゃならんことを、
やりましょ。

手続きは控えめにして。